これまでの補講・第3回(2016.7.9)
テーマ「学生が教室で涙をみせる時」
2016年7月9日(土)23:00~?
前期の授業が終わりに近づいたこともあり、この回は教育関連のテーマにしました。
とある授業の終了後、学生が教壇まで来て、「先生の話を聴いていたら、歴史学が何だかわからなくなった。歴史学とは何なんですか」といって涙目になったのです。
さて、この問いにどう応答します?
その日は文化史のものの見方・考え方についての講義でした。
なので、多分に認識論的な内容になり、一般的な実証史学のイメージだけで歴史学をとらえていた学生にとっては、おそらく衝撃が大きかったのでしょう。
とはいえ大事なのは、学生が質問しながらなぜ泣きそうだったのか、という点にあり。
私自身にも経験があるのだけど(こんなべらべらしゃべる能力を身に着ける前は)、何かに強烈な違和感や疑問を抱いて、でもそれを適切に表現する言語や論理が見つからないとき、違和感や疑問は感情の高ぶりをともなって表出しがち。
だとすると、歴史学って別に一つではなくてさ、というような一般論で表層的に応答するのではたぶん足りない。
一つではないにせよ、なぜ私は単純な実証主義の立場だけを教えることをしないのか、という自分自身の立場性も含めて、学生に伝えるがよいのかなと思ったのです。
つまり、かつての自分だったら泣いてしまったかもしれない、たどたどしくしか言葉を選べない領域にまで、私も降りて答える。
私の応答でその学生が納得したかどうかは別にして、ドキッとするような率直な問いに対しては、そういう向き合い方がいいと思うのだけど、みなさんどう思います?
というようなお話をしたのだと思います(うろ覚え)。
(2016.1.24 記す)