これまでの補講・第3回(2016.7.9)
テーマ「学生が教室で涙をみせる時」
2016年7月9日(土)23:00~?
前期の授業が終わりに近づいたこともあり、この回は教育関連のテーマにしました。
とある授業の終了後、学生が教壇まで来て、「先生の話を聴いていたら、歴史学が何だかわからなくなった。歴史学とは何なんですか」といって涙目になったのです。
さて、この問いにどう応答します?
その日は文化史のものの見方・考え方についての講義でした。
なので、多分に認識論的な内容になり、一般的な実証史学のイメージだけで歴史学をとらえていた学生にとっては、おそらく衝撃が大きかったのでしょう。
とはいえ大事なのは、学生が質問しながらなぜ泣きそうだったのか、という点にあり。
私自身にも経験があるのだけど(こんなべらべらしゃべる能力を身に着ける前は)、何かに強烈な違和感や疑問を抱いて、でもそれを適切に表現する言語や論理が見つからないとき、違和感や疑問は感情の高ぶりをともなって表出しがち。
だとすると、歴史学って別に一つではなくてさ、というような一般論で表層的に応答するのではたぶん足りない。
一つではないにせよ、なぜ私は単純な実証主義の立場だけを教えることをしないのか、という自分自身の立場性も含めて、学生に伝えるがよいのかなと思ったのです。
つまり、かつての自分だったら泣いてしまったかもしれない、たどたどしくしか言葉を選べない領域にまで、私も降りて答える。
私の応答でその学生が納得したかどうかは別にして、ドキッとするような率直な問いに対しては、そういう向き合い方がいいと思うのだけど、みなさんどう思います?
というようなお話をしたのだと思います(うろ覚え)。
(2016.1.24 記す)
これまでの補講・第2回(2016.6.4)
テーマ「学会に行ってみたよ」
2016年6月4日(土)23:30~?
「人が多いから」という理由で、大きな学会にはほとんどいかないのだけど、今年は報告者・コメンテーターに友人知人が多く出ていたので、約3年ぶりに歴史学研究会の大会に参加。
その時の感想をお話ししました。
特に近代史部会の「大戦間期における社会意識の変容」に出た感想として、総力戦と文化動員に関する研究について今後課題となるのはこんなことかなというのを、思いつくままに開陳したと思います(うろ覚え)。
ちなみに、この近代史部会、ツイッターで相互フォロワーの方がわりと参加されていまして。
この日に挨拶をしそびれた方のお一人と、その後DMでやりとりして、別日にお目にかかることになり。
それがのちの補講につながるのでした(伏線)。
なのでまあ、学会に出たら出たなりにメリットもたくさんあることは確か。
(2017.1.22 記す)